祭日の今日、運良く映画館の女性デーだったので映画館へ。
どえらい人の山で、10分前に到着したのに席についたときにはすでに映画が始まっている始末。
遅く行った私も悪いけど、せめて開演時間ごとに列を作るとか・・・何か対策を立てて欲しいよ。
今日は2本。
まずは、上映していた時期に見逃してしまった『おくりびと』
素直に世界のいろんなところで評価されたのがうれしいなと思える作品だった。
この映画は、とてもバランスのいい話だと感じた。
人の人生は。
美しくもあり醜くもある。
楽しくもあり苦しくもある。
明るくもあり暗くもある。
正しいことだけでなく間違っていることもある。
どんな事柄も表裏一体の事柄で、本人自身だけでなくその人を見ている人にも、どちらの面が見えているか分からない。
そのすべての事柄の先に、人は誰でも死ぬという事実が待っている。
たいていの人はその瞬間を想像すらしたことないかもしれない。
この映画にはいろんな死が表現されていて、美しいものもあれば、醜くつらいものもある。
でも、日本では、死んでしまうとその人が生きていたときのことは何でもチャラになる・・・ということをこの映画を見ていて思い出した。
主人公は、ひょんなことから納棺師という仕事について、その仕事をやることを当たり前のこととして受け入れるようになる。
彼の妻も友人もみんな眉をひそめて仕事をやめるように言う。
それぞれの人が何故やめて欲しいのかその理由は、映画の中では出てこない。
ただ。
仕事に行った先では、まるで、何か罪をしたからこの仕事をしているように言われ、妻には汚らわしいからさわらないで、と言われてしまう。
見ていてとても不思議な気分だった。
見ている私には、彼の仕事は清らかで、意味のあるものに映るので、周りの人間の無理解に歯噛みしてしまうのだ。
人は誰でもいずれ死ぬし、毎日何らかの死にかかわっているのに、どうして誰かの死の始末をすることを忌み嫌うのだろう。
だけど。・・・当事者になったとき、自分はどう感じるんだろうね。
肉や魚を食べることは、その生き物の死にかかわっていることだと主人公の勤める会社の社長は主人公に言う。
その後で、焼いた白子を口にして・・・・"うまいんだこれが、やっかいなことにね。"と呟く。
そう、動物はどんな生き物だって他者の死と無関係ではない。
納棺師が静かに死者の体を清め、旅立ちの支度をする間、家族は一様にその行為を静かに見つめている。
この映画のように丁寧な旅支度をしてくれる納棺師が本当にいるのかどうかはちょっと分からないけど、でも、あんなふうに家族が丁寧に扱われているところを見れば、どんな人だって亡くなったその人自身を静かに見つめる時間を持てるだろうな。
もしかしたら、その人の人生で一番家族から愛のまなざしを向けられる瞬間かもしれない。
"今まで夢だと思っていたものは、夢ではなかったのだ。"
5歳の頃からチェロを弾き始め、ようやくオーケストラの団員になったとたんその楽団が解散になり、主人公は職を失う。
やっと夢がかなったので、彼は家1軒買えるほどの値段のチェロをローンで買ったばかりだった。
妻は次を探せばいいというが、彼は、首を横にフリ、田舎である山形へ帰ろうかなとつぶやく。
妻はその話に賛成してくれる。
山形へ帰れば、2年前に他界した母の残してくれた家があるのだ。
そして、彼は高価なチェロを売りに出す。
手放すとき、彼は不思議に重荷を下ろしたような気分になるのだ。
そして、上記の独白に続き、納棺師の仕事とも知らずに会社面接に出かけてゆく。
納棺師の仕事を始めてしばらくすると、彼はまたチェロを弾き始める。
音楽が彼のところに戻ってきたのだ。
主人公の心の変化は、いつか私が体験したものに良く似ていて、いちいち彼の独白にははっとさせられるものがあった。
もしかしたら、誰でも感じることなのかもしれないな。
「Ave Maria」
MUSIC BY Johann Sebastian Bach、PLAY BY 小林大悟




いいなぁ、映画。
私は今日も観に行けなくてフラストレーションが溜まってます。
観たい映画がやってないのもその原因の1つではありますが!
投稿情報: 黄色の道化師 | 2009-02-11 22:07
>黄色の道化師さん
久々の映画だったのよ^^
私は観たい映画になかなか行けなくて、ストレスたまってます~。
投稿情報: 安井文@管理人 | 2009-02-14 23:04