先週土曜日、12月2日に広島クラブクアトロに斉藤和義"俺達のロックンロール"ツアー追加公演に行ってきた。
追加公演で弾き語りライブだったが、そりゃまあ大盛り上がりだった。
ライブレポートはまあそのうちアップできればと・・・。
そのライブ会場で新曲「破れた傘にくちづけを」のCDを入手。
このCDは今のところ通信販売とライブ会場物販のみで販売されている。
今年夏にキューバに旅行に行ったそうでそのときに触発されて出来上がったのが「破れた傘にくちづけを」だそうだ。
キューバ音楽のリズムを真似たようなギタープレイがめっちゃかっこいい曲で、歌詞も彼らしい哀愁を帯びている美しいラブソングだ。
私はこの人のラブソングを聴くとぐっと来てしまう。
そしてその新曲のカップリング、タイトルにも頂いた「絶望という名のガム」
斉藤和義さんがそのタイトルを告げた瞬間に私は想像力を掻き立てられてしまった。
道を歩いていて誰かが吐き捨てたガムが靴の裏にくっついてしまっていくらこすっても取れない。
という私にも身に覚えのある出来事から歌は始まる。
マイナーコードで進んでゆくこの曲。
出だしのワンフレーズだけを聴いて「ポストにマヨネーズ」を思い出し、まじめに歌って笑いを誘いたい曲なのかなとぷぷっと吹き出してしまったのだが、実はそれはきっかけに過ぎなかった。
そんな些細な出来事ですっかり絶望のどツボにはまってしまい、にっちもさっちもいかなくなった心情が淡々と語られる。
そんな気持ちを消し去るにはやっぱり"君"が必要・・・と続く。
せっちゃん節炸裂。
やられた!
聞き終わる頃にはすっかりせっちゃんワールドに取り込まれてしまった私なのだった。
そして今、毎日ハードローテーションである。
私は音楽を聴く時、どうしても歌先行で、歌の内容が気に入らないと聴きつづけることが出来ない。
そのかわり気に入るとすぐに歌詞を覚えてしまうという役に立たない特技を持っている。
ただし、限りなく日本語限定。
中学生の時覚えたビートルズの名曲「イエスタデー」と誰の曲だが分からないが「マイ・ボニー」は今でも歌えるが、10年位前に一生懸命覚えたStingの「フラジャイル」はすっかり忘れてしまった。
そんなわけで、聴きながら翻訳が必要になってくる洋楽がとても苦手。
バンドをやる上でも英語の歌詞はさっぱり頭に入らなくてたとえカタカナで覚えたとしてもライブが終わるとすっかり飛んでしまうのでとても不便。(だってまたおぼえなくちゃならない!)
多分私の中で、英語はことばなんだという思いがあって、音の集まりとしてわりきれないからなんだろう。
ちなみに私はベースを弾くんだけど耳コピは得意。
音を拾って覚えることは英語歌詞を拾って覚えるよりかなり簡単だ。
意味を考える必要がないからかもしれない。
英語については自分が喋れるかどうかも気になるけど、やっぱり相手が喋ってることなり書いてあることなり理解できると便利だろうなあと思う今日この頃。
音楽を聴くのに意味を理解できないと耳に入らないというのは音楽好きとはいえないのではないのかと悩んだこともあった。
どうしても洋楽を聴きつづけることが出来なくて、バンドをやる上でこれは問題なのではないかと悩んだことも。
が、私はそういうスタイルなんだと割り切ることにした。
ことばが判らなくてもかっこいいと思う曲はかっこいいのだから、それでいいことにした。
そもそも音楽なんて人の好き好きなのだから。
話が大幅に脱線してしまった。
で、斉藤和義さんの音世界に私は毎回激しく同調してしまう。
その気持ちすごくよく分かる!という感じ。
彼の詩は決して分かりやすくない。
ラブソングだってかなり屈折しているし、「絶望という名のガム」だって、ただ絶望に打ちひしがれているだけではないものを私は感じるが、ことばだけ読んでしまうとそう感じられないかもしれない。
音世界と書いたのは、歌詞とサウンドすべて込みで曲は成り立つわけなので、ことばに沿っている音楽が語られない行間を表現していると思えるのでそう書いてみた。
彼のファンがある程度固定化されていてライブに行っても熱狂的に声援を送っている人がいるところを見ると、私と同じような感覚の人は結構いるんじゃないかなと思う。
それは男女問わず。
ライブ会場に行くとそれを肌で感じることができる。
あの妙な一体感は一体なんなのだろう。
ステージにいるミュージシャンが誰だろうと、それを見ている会場の人たちはやっぱり私のような感覚を持つんだろうか・・・持つんだろうなあ。
その曲を作った人が歌っているのなら、歌う時には違う気持ちになっているかもしれない。
違う人が書いた曲なら書いた人と歌う人の気持ちは違っているかもしれない。
もちろん、それを聴いた人たちも一人一人と話してみれば全然違う思いを持っているに違いない。
だけど、その曲を1つの場所に集まって聴くという行為によって、何かが生まれてしまう。
それをただ熱気と言ってしまえばそれだけだけど。
そう言えば以前、鈴木雄大さんが「孤独は共鳴するんだよ」と言っていた。
「When I Cry」という曲はそんな思いを歌にしたんだと話してくださったことがあった。
不思議なことに斉藤和義さんの新曲を聴くたびに私はこの話を思い出す。
ライブ会場での一体感は、もしかしたら共鳴する孤独の発するエネルギーなのかもしれない。
この孤独は、恋人がいても家族がいても消し去ることは出来ない。
だけど、共鳴することで暖かい何かを生み出す。
音楽はその共鳴を生み出す一番シンプルで分かりやすい表現なんだろう。
最近そんなことをよく考える。
本当はそんな気持ちをこんなふうに御託を並べずに彼らのように歌として表現できればいいのだけど。
それが出来ないことが実はくやしいのであった。
あ・・・またガムを踏んでしまった(笑)
「破れた傘にくちづけを」はここで入手できます。
:::Kazuyosi Saito Official Site:::
最新版のFlash Playerが必要ですが、音源とPV映像を見ることが出来ます。
完全にせっちゃんだけが儲かるシステムになってるらしいです(笑)
「絶望という名のガム」
WORDS & MUSIC BY 斉藤和義




英語の歌は意味不明の曲が結構あって
こんな意味不明な歌詞をよく熱唱出来る
な~と思うと笑えたりします。スペイン語
はさっぱり分からないのにジプシーキングスを
意味不明のまま一緒に熱唱してる自分も
考えたら変ですね(笑)。
投稿情報: 椰子の実 | 2006-12-07 20:44
昔は洋楽も単純に音だけ楽しんでたので
色々不審に思ったりすることはなかったなぁ。
今はある程度意味も取れるようになったけど
まずは音から入ってしまいますね。
日本の歌だと詩から入るのと曲で気に入るのと半々ですかね。
ジプシーキングスはついついあのパッションで聴いてしまいますね。(笑)
投稿情報: 黄色の道化師 | 2006-12-08 20:24
>椰子の実さん
初めてメッセージを頂いたのにお返事が遅くなって申し訳ありません。
英語の歌は、ブルースなんて特にかなりセキララな内容がありますよねえ。
びっくりしてしまいます^^;
でも、日本語で聴くとなんかへんなんですよね、そういうのは。
ジプシーキングスをはじめて聴いた時は興奮しましたねえ。
大好きです、彼らのノリは!
「鬼平犯科帳」のエンディングだったりするし^^;
投稿情報: 安井文@管理人 | 2007-01-04 12:28
>黄色の道化師さん
音だけ楽しむってのが昔出来なかったんですよ。
ベースを弾くようになってから聴き方が変わったらしくて、そういう楽しみ方もできるようになってきました。
日本の曲はやっぱり詩が入りますか!
日本人ですなあ~。
で、やっぱりあなたもジプシーキングスには惹かれてしまうようですね^^
投稿情報: 安井文@管理人 | 2007-01-04 12:30